藤岡市の牛伏山断層と金井断層

関東山地の三波川-秩父帯では,三波川ユニットの上にみかぶユニットが重なり,
更にその上に秩父帯の柏木ユニットが重なっている.
この積層構造を乱す地質体は,外部から移動してきた地質体である.その一つが跡倉ナップである.

前回のブログ記事で紹介したように,
小川盆地では,跡倉ナップの上に中新世の小園層が薄く堆積しており,
みかぶユニット,跡倉ナップ,小園層という見かけ上の積層構造が局地的に認められる.
この積層構造は,小園層堆積後に起きたテクトニクスによって多少複雑化している.

群馬県の牛伏山南麓では,
三波川変成岩の上に中新世中期の牛伏層が衝上断層(牛伏山断層)で重なっている.
牛伏山断層は藤岡市金井付近でその連続性が断たれ,その東方での存在が不明瞭になる.
金井地域の地質を検討すると,牛伏山断層の変形・変貌状況が推定されて,
牛伏山断層形成後のテクトニクスが明らかになるかも知れない.
これを念頭に置いて,10年前に地質図を作成した(2008/03/26の記事および次の図). 

画像

上の地質図を見ると,牛伏山断層は北方に約 30°傾く断層であり,
鮎川以西では非常に良く連続している.しかし,鮎川以東ではその存在が不明瞭となる.
鮎川以東では三波川変成岩の分布が顕著であり,牛伏層は局地的に小分布しているのみである.
三名川以東では,一か所に牛伏層の小露頭が認められるだけである.

牛伏層の礫岩や砂岩は,かつて鮎川以東にも広く存在していたと考えられる.
それが現在僅かしか見られない理由は,三波川変成岩の隆起が鮎川以東では著しく,
隆起した大部分の牛伏層は侵食され,牛伏山断層の下方にあった三波川変成岩が露出したためである.
牛伏層がわずかに残存しているのは,隆起が一様に起きていないためである.

ここで隆起量が問題になる.
たとえば,地質図の金井断層(k)付近の三波川変成岩はどの程度隆起したのであろうか.
牛伏山断層は北方に約30°傾く断層であり,北方に行くほど断層面の深度は増大していく.
したがって,鮎川近傍の牛伏山断層を基準にすると,
金井断層の西端部付近の三波川変成岩は,隆起の前には深度約 520mにあったことになる.

ところで,牛伏山断層は鮎川東方では全く見られないというわけではなく,
文献によると,鮎川東方に分布している牛伏層の南縁部あたりに,
すなわち,上の地質図の金井断層(k)付近に局地的に点在しているようである.
それらの牛伏山断層は地下深部から上昇してきたものと推定される.

金井断層(k)の北東に保美断層が走っている.
この高角断層は中新世の地層の小幡層と三波川変成岩との境界断層である.
保美断層南方の三波川変成岩は著しく上昇してきた地質体である.
保美断層の変位量は大きく,金井断層は保美断層に随伴する副断層と推測される.

牛伏山断層がどの程度地下深部まで続くのか問題である.
地下深部に行くほど,牛伏山断層の傾きが急になる可能性もあるが,
断層面の傾きが30°で牛伏山北方の多以良の地下深部まで連続すると仮定すると,
そこでの基盤岩の深度は1000m以上となる.この値は関東平野の基盤深度図と矛盾しない.

なお,牛伏山断層は中新世の東北日本と西南日本が「関東構造線」で接合した時期に形成された衝上断層である.庭谷不整合の形成年代である15.2Maごろよりも少し古い時期に形成された断層と推定される.

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