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現在のインドネシアには種々の島弧が発達しているが,かつての日本もそうであった.日本列島は複数の島弧が合体して形成されたものである.これが1965年ごろから1980年ごろの著者の考えであった. この想定が正しいと,ジュラ紀やペルム紀の花崗岩が日本列島の中軸部あたりに期待される. ジュラ紀末期の日本を復元すると,次の図のように黒瀬川島弧がジュラ紀の日本弧に衝突・合体中であって, 日本弧の東端部にはすでに衝突した古い小さな島弧があったと推測される. 古い小さい島弧ではジュラ紀の火成活動が起きていたと考えられる. それを発見しようと努力していたのであるが,なかなか見つからない. ところが,埼玉県小川町の金勝山石英閃緑岩がジュラ紀花崗岩(149Ma)であることが発表された(1978年). 探索していた花崗岩が発見されてしまったのである. 長年考えていた日本列島の衝突・合体説に都合のいいデータが出現したので, 論文を書いて上の図を提示した(1980年).しかし反応はほとんど無し. その理由の一つが,ジルコンのフィッショントラック年代が信用できないと言うことらしい. 噂ではフィクション年代だと言うのである. そうであれば,正しい年代を測定する必要があるが,5年たっても音沙汰なしであった. そこで一大決心をして,同一地点の花崗岩について,普通角閃石のK-Ar年代を測定することにした. 年代測定をしたことがなかったので,教科書を読んで,サンプルの取り方などを学び,小川町にでかけた. 6月には真夏のように暑い日がときどきあるが,当日は猛烈な暑さだった.急の行動だったので,涼しい日時を選ぶ余裕はなかった.汗をかいてやっと露頭をみつけ,新鮮な岩石を大量に採集し,リュックサックに詰め込んだ. 他人のデータをチェックするために汗を流すのは馬鹿らしいと思いながら,帰路についた. テレダインアイソトープ社(アメリカの年代測定会社)から郵送されてきた速報値を見ると, 普通角閃石のK-Ar年代は251Maであった. 意外な数値に驚き,何が重大な発見をしたと思った.その瞬間,感動がわき起こった. ジルコン年代の149Maは何かの誤り(年代の過小評価)であったが,研究進展上の重要なきっかけとなった. フィクション年代だと言い張った評論家も少しは役だった. 思い返してみると,今まで間違った思いこみが多かった.金勝山石英閃緑岩はジュラ紀の貫入と思っていたし,皆野町山形の変成岩岩塊はペルム紀と思っていた.緑色岩メランジュのアクチノ閃石片岩は120Maごろの変成岩で三波川変成岩よりも古いと思っていた.すべて間違いだった.実際,年代データなしに年代を想定することは非常に危険である.しかし,最終的には年代の測定をしたことは正解であった. [あのデータは信用できない,問題のデータだ]と思った時,次の教訓を思い出せ: 自信と勇気だけで勝手な判断を下す前に,いいデータを出せ.データが考えて問題を解決してくれる. |
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